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事務局日誌

事務局日誌 (2009年)

◆当準備会事務局の活動日誌です。宜しくお願いいたします。

 

 >>2010年の日誌

2009年11月29日(日)

1).今月もまたホームページの更新が遅れ遅れとなり、ようやく今日、更新することが出来ました。偏に事務局長をお預かりする当方の怠慢であり、本当に申し訳ない限りです。ホームページの原稿作成のみならず、事業会の各種事務運営等も、如何に本業の合間を縫っての苦心の運営とは言いながら、事務局をお預かりするものとして許されることではなく、なんとか改善しなくては悶々としてきた3年間でした。しかしながら、幸いなことに、「お知らせコーナー」第42号にても掲載させて頂いた通り、ついに12月より専従の事務局員の方にお勤め頂けることとなりました。その御紹介等はまた12月になってから改めて正式にさせて頂きますが、大きな戦力になって頂けるものと大変期待しており、近い将来、このホームページの運用改善等にも取り組んで頂けるものと思っています。

 

2).これまで、ホームページの原稿作成担当の当方の多忙にかこつけた怠慢等によりなかなか更新等が出来なかった当ホームページですが、それでもここまで運営してこられたのも、偏にこのホームページの更新手続き等全くのボランティアで行って頂いている早川浩子さん(東京在住)の御尽力あっての賜物でした。早川さんも飯田にご縁のある満蒙開拓団員の方の血を引く方であり(当地方送出の水曲柳開拓団の副団長であり、下伊那農学校の校長でもあった早川完吾先生の直孫になられます)、それがご縁にて、東京都内でコンピュータ関連の企業に勤務されていることから、当ホームページの立ち上げ時から大変なご協力を頂いてきているものです。深く御礼申し上げると共に、今後ともホームページの運営等にご協力をお願い申し上げたいと思います。また、前述の早川完吾先生のことについても改めて機会を見てこのホームページでも御紹介させて頂きたいと思います。

 

 

2009年10月13日(火)

1).毎回のことながら、ホームページの更新が遅れ遅れになっており、大変申し訳ありません。この1ヶ月余りの間 に、「準備会からのお知らせ」にても報告の通り、映画「嗚呼、満蒙開拓団」の上映会があったり、記念館と は無関係ながら、飯田日中友好協会主催の九寨溝等四川省訪中団の派遣(9月12日~16日)があった 等したため、怒濤の1ヶ月でした。

 

2).事務局長をお預かりする当方の怠慢等からこのホームページの更新等も遅れ遅れでしたが、「準備会からの お知らせ」第37号にてもお知らせの通り、ようやく当準備会でも専従の事務局員を採用して頂けることが内 定いたしました。採用等はこれからになりますが、専従の方が決まりましたら、このホームページ更新等ももっと 迅速にし、準備会活動、事務局活動も活性化していきたいものと思っています。この記念館建設事業にご 賛同、ご理解いただける方でやる気のある方のご応募を是非ともお待ちいたしております。採用に関するご質 問等は当ホームページを通じてなんなりとお問い合わせください。

 

3).「準備会からのお知らせ」第36号にてもお知らせの通り、去る10月11日、飯田市内にて「満州移民シンポ ジウム」が開催され、当方も参加してまいりました。私事とはなりますが、当日の基調講演をされた、中国側に おける満蒙開拓研究の第一人者である劉含発先生とは旧知の間柄にて、当日は久々の再会でもありまし た。当方が初めて旧満州の調査旅行に参加した1996年の満蒙開拓研究会(清川紘二会長)による現地調 査団派遣の際に、現地で受け入れ等して頂いたのが当時、吉林師範大学の講師であった劉先生でした。 劉先生は、当方の両親も住んでいた吉林省舒蘭市の水曲柳開拓団の調査等を早くから手がけられており、 今回も現地調査に裏付けられた詳細なお話をお伺いすることが出来ました。今回のことを契機に、劉先生か らは当記念館に対するアドバイス等も積極的にして頂けるようお願いすることが出来ました。

 

 

2009年9月10日(木)

1).「準備会からのお知らせ」にても報告の通り、井出孫六先生に当記念館準備会の名誉顧問となって頂くこととなりました。また、映画『嗚呼、満蒙開拓団』の羽田澄子監督には毎日新聞紙上にて記念館のことを取り上げて頂き、直接激励のお電話も頂きました。本当にありがたいことです。こうして、記念館建設実現に向けて多くの皆さんからの温かい御支援の輪が拡がりつつあります。これを励みに準備会一同、これからも頑張っていきたいと思います。

 

2).先般実施の衆議院総選挙、大勝した民主党が新たな政権を担うこととなりました。私たちの活動は不偏不党ですから特定の政党等を支援等することはありませんが、それぞれが責任ある国民の一人一人として政治や国のあり方等に対して無関心であってはいけないと思います。政治のあり方は国のあり方、未来を左右するものであり、かつての軍国主義の跋扈(ばっこ)、そして戦争へと向かっていった歴史は絶対に繰り返してはならないと思います。その過ちを繰り返さないためにも、その史実を語り継ぎ、平和の尊さを伝える術の一つとして、この満蒙開拓平和記念館を完成させなくてはならず、新政権においても平和を守ると共に、この記念館の建設運動にも是非理解と支援をして頂きたいものと願ってやみません。

 

3).半ば私事ながら、この記念館建設活動の主管団体である飯田日中友好協会の主催により、9月12日から16日まで、四川省等への訪中団を派遣し、同協会河原進会長を団長として22名にて訪中してまいります。当方も副団長として参加させて頂きますが、実は今年初めての訪中です。6月企画の別の訪中団は新型インフルエンザのために中止となってしまいました。昨年5月の四川省大地震の復興がどの程度進んでいるか、つぶさに見てまいりたいものと思っています。帰国後、また機会があればこの場所にて報告等させて頂きたいと思います。

 

2009年8月10日(木)

1).8月7日は立秋、暦の上ではもう秋です。こちら南信州では、もうすぐに迫った旧盆が過ぎるともう秋風が立ち 始め、夏ももう終わりです。今年の夏は天候不順の日が多く、何か夏らしさを感じないままに終わってしまいそ うな感じですね。

 

2).昨日8月9日は、長崎への原爆投下の日でもあると共に、満州に係わりのある人ならば決して忘れることが 出来ない日、すなわちソ連軍が突如としてソ満国境を越えて侵攻してきた忌まわしい日でもあります。このソ 連軍侵攻の日時については、当時の混乱等もあり、その後の記録や体験記等で誤った記述等もたまに見受 けられます。しかし、各種研究等によれば、ソ連軍の侵攻は8月8日から9日にかけて、日付が9日に替わった 9日未明のことであったことは間違いありません。この深夜のうちからソ連軍機による満州各地での空襲等があ ったとのことであり、北満のソ満国境の(旧)三江省省都・佳木斯(ヂャムス)などでも、この9日未明にソ連軍に よる爆撃があったとのことです。

 

3).64年前のこの日、長崎では広島に続いての原爆の業火に多くの人たちが犠牲となり、そして満州に住む日 本人たちにとっても地獄の始まりであったのがこの8月9日でした。平和な時代の今日、改めて、平和の尊さを 思い、旧満州の地に散った人々、そして原爆等の戦火に散った人々の鎮魂を祈った一日でした。

 

4).「事務局からのお知らせ」第28号にてもお伝えした通り、この度、阿智村を始めとする地元の下伊那郡全1 3町村の全戸に協力等のお願いの文書を配布して頂くことが出来ました。ここで、少しだけ、県外等の皆様の ために下伊那郡のことを紹介させて頂きます。

 

 下伊那郡は長野県南端に位置する郡であり、3町10村の計13町村より構成されます。先般の「平成の大 合併」が行われるまでは17町村がありました。なお、現在の13町村でも全国の郡の中では最も町村構成数が多い全国最多の郡だそうです。

 

 長野県内でも最も人口の少ない平谷村(643人)を始め人口千人以下の村が2村、二千人以下の村は6 村を数えます。これに飯田市を加えた飯田・下伊那地方は、その圏域面積は全国最小県の香川県とほぼ 同規模の広さを有しますが、その多くを山林原野が占める山間農村地帯です。山深き里ではありますが、美しい自然と人情豊かな南信州・下伊那の地にどうか皆様、一度はお越し下さい。

 

2009年6月25日(木)

1).相変わらずのことながら、ホームページ更新が遅れ遅れで、大変申し訳ありません。決して、当記念館事業が停滞等しているためではなく、逆に、最近、活動がかなり活発化しており、その対応、処理等に追われまくり、更新のための時間がなかなか取れないというのが実際です。また愚痴話しで大変申し訳ありませんが、このような大事業を民間団体主体、ボランティア活動頼りで運営していくには本当に限界があります。事務局長をお預かりする当方も、零細な不動産鑑定士事務所経営の傍らにての二足の草鞋であり、十分な対応が出来ず、皆様にも申し訳ない限りです。早く専従事務局を置けるような体制を取れる日が来ることを願ってやみません。

 

2).「準備会からのお知らせ」の第22号にても既報の通り、「日本と中国」紙の一面で当記念館のことを大きく取り上げて頂きました。遠路、この南信州の地まで取材にお越し頂き、熱い記事を書いて頂いた同紙の金田編集長には厚く御礼を申し上げたいと思います。2日間、当方の運転にて、阿智村の記念館用地を見て頂き、また映画「嗚呼、満蒙開拓団」にも出てくる泰阜村を訪問、村内にある泰阜村開拓団の慰霊碑にも参じて頂きました。また、その隣の天竜村の平岡ダムの脇には、戦時中、中国本土から強制連行されてダム建設労働等に従事したものの尊い命を落とした約80人の中国人犠牲者の皆さんの慰霊碑もあり、ここにも参じて頂きました。ここ、飯田・下伊那の地にはこういったかつての戦争の傷跡を忘れず、犠牲者の霊を慰め、平和を誓うための慰霊等が数多く建立されています。

 

3).また、「準備会からのお知らせ」の第23号にても既報の通り、東京・岩波ホールで6月13日より上映されている「嗚呼、満蒙開拓団」、大変な評判のようです。当方も上映に先んじて、前出の金田編集長のご招待により事前試写会にて同映画を見させて頂きました。また上映後にはこの映画を撮られた羽田澄子監督ともお話させて頂くことが出来ました。羽田監督は「薄墨桜」等により高い評価を得ている女性監督であり、流石に映像も美しいものであり、2時間の長さを感じさせない充実した内容でした。この映画を少しでも多くの皆さんに見て頂き、このような満蒙開拓団がなぜ送り出されたのか、そこで何が起きたのか、そして2度とあのような不幸は決して起こしてはならない、その礎となることを願ってやみません。この映画、既に全国各地で自主上映等の予定が入っているとのことにて、この飯田を含め、長野県内各地でも今夏~今秋での上映が計画、予定されています。

 

2009年5月27日(水)

1).今回の更新分から、「関連資料コーナー」の中に「イベント等紹介コーナー」を新設いたしました。今回は取り敢えず3つの催し物等の御紹介をさせて頂いています。旧満州、満蒙開拓関係等に係わるイベント、催し物   等でしたら、どんなことでもお寄せ下さい。出来る限り紹介、掲載させて頂きます。なお、各種イベントや、旧満州関係の書籍等の紹介については、飯田日中友好協会のホームページでも掲載されていますので、是非、そちらも見てみて下さい。

  飯田日中友好協会ホームページ http://www.mis.janis.or.jp/~nihao-iida/

 

 

2).「お知らせ・第18号」にても報告の通り、全国2,019の全市区町村宛て、当記念館事業に関しての協力要請文書を発送し終えました。飯田日中友好協会の役員の皆さんの手により延べ3日間をかけての封筒詰め、発送作業でした。全国のいくつの市区町村等で広報またはホームページ等で事業の紹介をして頂けるか、大変楽しみです。全国の市区町村の御担当者の皆様、このホームページをご覧になりましたら、どうか宜しくお願い申し上げます。

 

2009年5月24日(日)

1).「準備会からのお知らせ・第14号」にても報告させて頂いた通り、去る5月20日、満蒙開拓青少年義勇隊の元隊員等の皆さんによる親睦組織「礎(いしずえ)会」の親睦会が阿智村の昼神温泉で開催され、これにお伺いしてまいりました。詳報は「お知らせ」及び、添付の新聞記事等の通りですが、皆様、平均年令82歳くらい?。でも本当に皆さんお若くて、とてもお元気でした。「俺たちの目の黒いうちに完成してくれよ!」とハッパをかけられてきましたが、礎会の皆さんのお気持ちに応えるためにも、頑張りたいものと思います。それにしても悩みのタネは、ボランティア頼りの現在の事務局運営体制の改善です。礎会の中からも、「何をとろくさいことをやっているんだ。もっと動きを活発にしてやればもっと早く完成出来るはず!」といった厳しいご意見もありましたが、如何せん、我々も本業片手に、生活を維持しながらも、その中で休日や夜間・早朝を割いての現在の運営体制では、いくら必死になっても限界があります。そのことを事業遅延の理由にするつもりはありませんが、もしもこの事業に専従で取り組める人が何人かでもいたら、もっと進展できるはずなのに・・・と本当に悔しく思います。

 

2).話しは変わりますが、昨日23日が最終回だったのですが、NHKテレビで「遙かなる絆」(全6回)という旧満州での残留孤児等をテーマにした連続ドラマがありました。ご覧になった方も多いかと思います。かつて放送されたあの名作「大地の子」の続編的な感じもあって、私も大変興味深く見させてもらいました。私(寺沢)は戦後の日本国内生まれで旧満州で暮らした経験は全くない戦後世代ですが、私事ながら両親が元開拓団員であり、私の長兄が終戦の年の冬を越せずに、新京(現在の長春市)の避難民収容所で流行病のために幼い命を落としているところから、「大地の子」にしても、また「遙かなる絆」にしても、もしも長兄が生きながらえていればあんなだったのかも知れないと思うと他人事とは思えず、私もこの活動等にボランティア参加している次第です。ドラマの中での様々な悲劇や出来事はいずれも同じようなことが沢山実際にあったそうです。私も両親がかつて住んでいた吉林省の開拓の村にも何回も訪問していますが、あのドラマを見ていて、またその村を訪問したいという思いに駆られました。

 

2009年5月17日(日)

1).ETC効果等で高速道も大渋滞だったゴールデン・ウィークもあっという間に終え、いつの間にかもう5月も半ば過ぎ。月日の経つのが本当に早いですね。当記念館準備会も全国への発信に向けて、その準備等に追われる昨今です。

 

2).当記念館準備会とは直接の関係はありませんが、去る5月13、14日と四国香川県の高松市にて「第12 回日中友好会議」が開催され、中国側からの約100名を含む約300名が参加して実施、当方(寺沢)も 主催者である(社)日中友好協会の全国本部理事という立場等もあり、これに出席して参りました。同交流会議は2年毎に日中双方交互にて開催されるもので、日中の民間交流事業の実務担当者等が集う会議です。前回は2年前(2007年)に四川省成都市にて開催されています。この交流会議の会場でも、当記念館事業の案内パンフレット等を配布し、事業への御理解、御協力を訴えさせて頂きました。当会議には中国側からも多くの参加者がありましたが、中国側の当記念館事業に対する反応等も気になるところ。この点については、「準備会からのお知らせ」の第11号を御参照下さい。

 

2009年4月17日(金)

1).今年の桜も早や葉桜へと移ろいでいます。この飯田でも、開花こそは3月23日と観測史上最も早い開花だったのですが、それ以降に寒さが戻り、満開までは10日間以上を要しました。それでもお陰で長い間、桜を楽しむことが出来ました。信州も長野市等始め平地ではほぼ満開、または散り始めており、代わって新緑が鮮やかとなりつつあります。

 

2).別掲の「事務局からのお知らせ」の通り、去る4月7日に阿智村との建設用地の貸借契約の調印式を済ますことが出来ました。阿智村の御好意、並びにこれまで漕ぎつけて頂いた岡庭一雄村長、村役場担当課の皆さん等に対して厚く御礼申し上げると共に、ようやくここまで漕ぎつけたことに事務局長をお預かりする立場として本当に感慨深いものがあります。とは言え、建設資金の確保等を含めて、建設実現までにはまだまだ課題山積です。気を引き締めて、さらに頑張っていく所存です。これからも皆様よりの御支援のほど、どうか宜しくお願い申しあげます。

 

3).建設用地のある下伊那郡阿智村と満蒙開拓等の関わりは深いものがあります。この地に建設実現を目指せることとなったことに深い縁を感じます。これらのことについては別掲の「満州なんでもコーナー」の第4号をお読み下さい。

 

2009年3月28日(土)

1).年度末とあって、事務局もそれぞれに本業を抱え、ホームページの更新がなかなか出来ずに申し訳ありませ ん。最近の事業準備会の動きとしては、3月26日の阿智村議会において、既にほぼ内定していた記念館の 建設用地について、正式に阿智村と準備会との間で土地使用貸借契約を締結することを承認する議案が議 決されました(「事務局からのお知らせ」参照)。また、これらの動きを受けて、4月からの新年度の活動計画等 について協議する第23回準備会を来たる3月31日に開催することになっています。

 

2).私的なことながら、去る2月下旬に、仕事上の会議があり、岩手県盛岡市に行ってまいりました。その際に、盛 岡市の隣にある滝沢村という村を訪ねてきました。実はこの滝沢村には多くの旧満州からの開拓団引揚者の 皆さん等が戦後入植されています。私事ながら、私の両親も行っていた吉林省の水曲柳開拓団の関係者 も、戦後、この滝沢村に多くの皆さんが入植しています。戦後、旧満州を含め、多くの外地からの引揚者を敗 戦国であり食料等も欠乏する日本国内で受け入れるのは大変なことであり、引揚者たちの中には郷里にとど まることなく、新たな活路を求めて全国各地へと散らばっていった人たちも少なくありません。今は飯田市に含ま れる旧上郷村も同様にて、地域外に活路を見いだすべく、富士山麓や岩手、茨城、九州、北海道など全国 に移住していきました。この滝沢村にも旧上郷村から水曲柳開拓団関係者を含め20戸以上が戦後まもなく 入植されました。その皆さんにお会いいたしたく、この機会にと時間を作って滝沢村を訪問させて頂いたところ、 旧水曲柳開拓団の皆さんが、まるで親戚の者が訪ねてきたかのように温かく迎えて下さいました。美しい岩手 山が見守る滝沢村、今は盛岡市のベッドタウンとして、村としては全国一の人口を誇る54,000人という大き な村で、開拓団関係者の皆さんはここで酪農等を中心として成功しておられました。戦後のご苦労も大変なご 苦労であったことでしょうが、「満州で悲しい運命に遭った人たちのことを思えば、今は本当に天国のようなもの」 と笑っておられました。満州の歴史は、実はこういった戦後、引揚後の苦労にも続きます。実現を目指す記念 館では、こういった戦後の開拓団の姿、そしてその後の旧満州(現中国東北地方)のことも触れていかなくては ならないと思っています。

 

3).今年は例年に無く桜前線の北上が早く、この飯田の地でも観測史上最も早い3月23日に開花宣言が出さ れました(例年よりも12日も早いとのことです)。しかし、その後の冷え込み等から、まだ満開までには至らず、飯 田市内のソメイヨシノはまだまだこれから。桜と言えば、記念館の建設が予定されている阿智村智里の園原と いう山里には「駒つなぎの桜」という有名な銘桜があり、毎年多くのカメラマンなどが集まってきます。ここ飯田・ 下伊那は知る人ぞ知る「一本桜の里」として知られている銘桜の数多い地域です。2年前には桜好きが全国 から集まる「全国桜サミット」がこの飯田の地で開催されました。記念館をなんとしても完成させ、記念館の見 学も兼ねながら、飯田・下伊那の銘桜巡りを、という日が一日も早く実現するよう、私たちも頑張りたいと思い ます。

 

2009年2月28日(土)

1).更新がなかなか出来ずに申し訳ありません。最近の事業準備会の動きとしては、2月17日(火)に第22回準備会が阿智村中央公民館で開催されています。この際には4月より本格化させる全国的なキャンペーン活動に向けての検討等がなされました。

 

2).私たちが建設を目指す「満蒙開拓平和記念館」は満蒙開拓に特化した唯一の記念館となるものです。また、全国各地には、戦争に対する反省等から平和の尊さを次世代に語り継ごうとする平和資料館等があります。そのうち、満州開拓にも縁の深い記念館等として2つの記念館を、当ホームページの「満州なんでもコーナー」のNO.2として紹介させて頂きました。いずれも是非とも一度は訪れて頂きたい場所です。

 

2009年2月7日(土)

 HP立ち上げ後、初めての更新です。なかなか更新できず申し訳ありません。  準備会の事務局長を務めさせて頂いている当方も、また事務局の次長さんたちも皆、本業を別に持つ中で参加しているボランティアメンバーです。全国で唯一となる満蒙開拓に特化した記念館を建てようという大きな事業であるにも拘わらず、これを民間主導で行い、活動もボランティアによらなくてはならないという現状はやはり限界があるのも事実。国策で送り出された満蒙開拓の悲劇の歴史を後世に伝え、平和大国・日本の礎としていくためにも、国、県等行政の参画が望まれます。

 

 本日、満蒙開拓、満州等に関するいくつかの項目を当HPの各コーナーに掲載いたしました。ご意見等お寄せ頂くと共に、皆様からも投稿や資料の提供等をお願い申し上げたいと思います。

 

2009年2月1日(日) 

 ようやく念願のホームページを立ち上げることが出来ました。スタートしたばかりで内容的にもまだまだですが、皆様からのご意見等も反映しつつ、より良いものにしていきたいと思います。