◆当準備会事務局の活動日誌です。宜しくお願いいたします。
2011年10月18日(火)
前回の日誌の渋谷区に続き、今回は墨田区より区役所退職者会「墨友会」のみなさんが南信州への旅行がてら満蒙開拓の語り部の話を聞きたいとお申し出いただき 宿泊先の昼神温泉のホテルで語り部の会を開催しました。今回も相沢千代子さんにお話しをしていただきました。
旅行社の添乗員さんによりますと、今は単なる物見遊山的な旅行ではなくこのようなニーズがあるとのこと。記念館も展示を見て帰るだけではなく、学び交流できる場にしたいと思います。「墨友会」のみなさま、ありがとうございました。

2011年9月30日(金)
9月26日に、東京の渋谷区日中友好協会のみなさんが阿智村へ来てくださり交流会を開催しました。「21旅の会」をつくり、方々へ旅行をしているというみなさん。今回は当記念館準備会を訪問し開拓団関係の人と交流しようと話がまとまったそうです。当日はパネル展示と「語り部」相沢千代子さんのお話し、そして、飯田日中友好協会の小林勝人事務局長より帰国者支援や満蒙開拓の歴史の講話をいたしました。相沢さんのご苦労をねぎらい、歴史を伝えることの大切さが分かったとの感想を述べてくださいました。ありがとうございました。記念館が開館しましたら是非またお越しください。

2010年8月29日(日)
21日から9日間にわたり開催してまいりました「満蒙開拓歴史展」が、本日をもって終了いたしました。多くの皆さまのご支援、ご協力に心から感謝申し上げます。来場者数は延べ1,785人。暑い中、県内はもとより東京、埼玉、愛知、静岡、富山、大阪、広島など遠方からもお越しいただきました。このようなイベントの開催は初めてだったため不慣れでいたらない点も多々ありご迷惑をおかけいたしましたこと、お詫び申し上げます。
この歴史展には、準備段階から理解ある方々が関わってくださり、大変励まされました。また、期間中にも新しい出会いがありました。こうした皆さまとの絆を大切にしながら、今後も「満蒙開拓平和記念館」建設に向け努力してまいります。気付いた点、要望などございましたら、お気軽に事務局までご連絡ください。今後とも、皆さまのご協力をよろしくお願いいたします。(事務局 三沢)
2010年7月7日(水)
1).事務局長の寺沢です。いよいよこのホームページもリニューアルし、新たなものに刷新されました。今後は専従の三沢事務局次長に運営してもらうこととなり、ホームページの活用度もさらに高まるものと思います。ホームページの立ち上げ以来、管理等を担当して頂きました東京の早川浩子さんには大変お世話になりました。これからもご指導を宜しくお願いいたします。新しくなった当ホームページへの皆さまからのお便り等、心からお待ち申し上げております。
2).「お知らせ第66号」にてもお知らせしました通り、「南信州日本花の会」が来年春を目途に記念館敷地に桜の苗木を植樹して頂けることとなりました。私事ながら、当方もこの会の一員でもあるところから、同会に協力のお願いをしていたところ、正式に事業として採択して頂いたものでした。実は、旧満州、特に黒竜江省等の北満では桜を見ることがありません。元開拓団員であった当方の両親に聞いても、現地で桜を見かけたことは無かったと言います。終戦前後当時、悲惨な逃避行の中で、あるいは過酷な避難民収容所で、さらにし酷寒のシベリアの捕虜収容所で、「日本に生きて帰りたい。そして、あの桜をもう一度見てみたい」と言いながら、多くの人たちが二度と日本の土を踏むことなく彼の地で亡くなっていきました。その人たちの魂を慰めるためにも、記念館の敷地を桜で一杯にしたいものと思います。記念館建設予定地である阿智村は、銘桜「駒つなぎの桜」でも知られる桜の村でもあります。この阿智村に新たな桜の名所を作るべく、「花の会」の皆さん等のお力をお借りしつつ、桜の植樹、そして慰霊の空間でもある記念館敷地の整備を進めていきたいものと思います。
2010年6月13日(日)
1).またしても横着をしておりまして、本当に申し訳ありません。「お知らせ」第64号にてもお知らせした通り、当ホームページのリニューアルを準備中ですので、今少しの間、ご容赦ください。これまで当方が原稿を作り、東京在住の早川浩子さんに更新の作業をお願いしてきましたが、私たちの手で更新するのもこれが多分は最後になろうかと思います。更新後は事務局専従の三沢事務局次長に運用してもらうことになります。リニューアル後も引き続きご利用のほど、宜しくお願い申し上げます。
2).「お知らせ」第60号にてもお知らせした通り、準備会の会報紙「山河」の第1号が発刊されました。三沢事務局次長の編集、作成になるものです。この会報紙の「あの人・この人」のコーナーで紹介されている奥山廣さんは、当準備会の会員でもあり、また私たちがお借りしている事務所の大家さんでもあります。奥山さんは、私たちの事業に賛同して頂き、国道152号線沿いに所有されていたこの事務所を破格の格安家賃にてお貸し頂き、かつその家賃の一部を準備会に寄付して頂く等、本当に心強い支援者のお一人です。このような地域の皆さんのご好意、ご支援により運営されている当準備会、なんとしても一日も早く記念館を完成させ、奥山さん始め地域の皆様、全国の皆様からのご期待にお応えしたいものと思います。
3).私事の範疇ですが、去る5月14日~18日と、当方の本業(不動産鑑定士)の業界団体の皆さん20名と共に、中国大連と上海に不動産視察に行って参りました。中国での不動産視察地として大連と上海を選んだのは、まず大連は発展する地方中核都市の一つであり、言うまでもなくかつては旧満州の玄関口でもあり、歴史的にも日本とは関わりの深い地であること、また街並みも綺麗であり、中国を初めて旅する方にとっては最も好適な場所の一つであること等によります。また、上海は言うまでもなく発展する中国の象徴的な大都市であり、また開催中の「上海万博」を視察することも訪問目的の一つでした。
大連は私も4年ぶりくらい、これで5~6回目の訪問になるかと思いますが、久しぶりの大連は発展基調にあり、かつての旧満州国時代からの古い建物等もかなり無くなりつつありますが、南山街付近に旧満鉄社宅等がまだ残されています。勿論、旧ヤマトホテルなどの中山広場付近の当時からの建物、旧満鉄本社等は今も残されており、これらも見てきました。業界のことで恐縮ながら、中国でも日本の不動産鑑定士に相当する土地估価師並びに房地産估価師の皆さんが活躍されており、大連市の估価師の皆さん等との交流も図ってまいりました。大連はちょうどカイドウ、八重桜、ライラック等が咲き乱れており、また「アカシアの街・大連」として知られたアカシアは市内ではかなり減っているとのことであり、まだ花は咲いていませんでした。
次に訪れた上海、相変わらずの発展ぶりで、上海万博も行った日は平日でしたが、その日だけでも23万人の入場者数とのことにて、日本館などの人気館は3時間待ち、普通のパビリオンでも1時間待ちはざらで、すぐに入れたのは北朝鮮館ぐらいでした。上海では団員の皆さんに上海リニアにも乗って頂きました。ギネスにも世界最速の営業列車として登録されているこの上海リニア、僅か7分間の乗車時間ですが、最高時速431キロのスピード感を味わって頂きました。
4).今回の訪中でも乗った上海リニアですが、ご案内の通り、日本でもリニアは実用化のレベルまで達しており、JR東海では2027年までに東京-名古屋間を1時間で結ぶという事業計画を具体化しています。現在、南アルプスを通っての直線ルート(Cルート)が有力となっていますが、そのルート上にある私たちの飯田市にも各県で一駅づつ予定というリニア駅の設置が有力視されています。まだまだ先のことになりますが、勿論、それまでには私たちの記念館も完成し、充実させ、リニアに乗って「満蒙開拓平和記念館」を見にきて頂ける日を夢見て、今後も頑張っていくたいものと思います。勿論、リニアは夢ばかりでなく、逆にストロー現象により、地域衰退の一因ともなりかねません。リニアの駅が出来ても、それをバネとしてさらにより良い地域として発展していけるような地域づくりを今からしていかなくてはならないものと思っています。
2010年4月27日(火)
1).またしても横着をしておりまして、久々の日誌更新です。本当に申し訳ありません。本業(不動産鑑定士事務所経営)が官公庁相手中心の仕事でもあり、年度末、年度始めは寝る暇もなく、事務所に泊まり込んでの毎日が続く中で、このホームページの更新もなかなか出来ないまま過ごしてしまっています。勿論、このままではいけないので、近々、当準備会の阿智事務所の専従となって活躍してもらっている三沢さんに中心となってもらって新たに運用していくべく当ホームページのリニューアルを準備中ですので、今少しの間、ご容赦ください。
2).「準備会よりのお知らせ」第55号にてもお伝えしたアメリカ・コロラド在住のポール邦昭丸山氏(丸山邦雄氏の三男)より英文著書『Escape from Manchuria(満州から脱出)』が私の手元に届きました。この5年間の歳月をかけられたという大作英著が私のところにお送り頂いくことになったきっかけは、実は昨年中より全国各地で上映された羽田澄子監督作品のドキュメンタリー映画『嗚呼、満蒙開拓団』でした。この映画を全国各地で上映されるに際しては、羽田監督始め上映館ご関係者等のご好意により当記念館事業に関するパンフレットを各上映会場に置かせて頂きましたが、これをある所で手に取られて読まれたのが丸山邦雄氏のお嬢様であり東京都国分寺市在住であった丸山末里子さんでした。昨年暮れにこの丸山末里子さんより、「父の書いた本ですが、記念館で役に立てば」と、丸山邦雄さんご自身の著書「なぜコロ島を開いたか」などの貴重な資料が私の手元に送られてきました。それに対する御礼状と共に記念館事業の経過等を書き記したお手紙を当方から丸山末里子さんにお送りしたところ、その手紙と資料がアメリカ在住のお兄様、ポール丸山氏に送られ、これを読まれたのポール丸山氏御自身より今年2月に私のところにメールが届いた次第でした。その際に、現在、5年間をかけて研究し書き進めておられるという前記の「満州からの脱出」が出来次第、当方にもお送り頂けるというありがたいお申し出を頂いており、その本がついに刊行され、当方の手元に届いた次第でした。本当にありがたいことです。「お知らせ」第55号にても書かせて頂きましたが、極めて基調な資料であることは間違いなく、なんとか和訳できないものかと思います。どなたかお力をお貸し頂ければ幸いです。
私事ながら、満蒙開拓団員であった当方の母も、終戦の翌年に葫蘆島から帰国し母国日本の土を踏むことが出来ました。その帰国実現は丸山邦雄氏らの命を賭けての御尽力があったからこそであり、その史実はなんとか語り継ぎたいものと思います
2010年2月13日(土)
1).横着をしておりまして、久々の日誌更新です(笑)。年末年始と本業、記念館関係と慌ただしく飛び回り、いつの間にかもう2月も半ばです。先日、会議にて上京の際に「新宿御苑」を覗いてみたら、もう「寒桜(カンザクラ)」が満開、近くの河津桜ももう咲き始めていました。もう春なんですねー。
2).「準備会よりのお知らせ」第53号にてもお伝えした通り、去る2月2日に茨城県阿見町の「予科練平和記念館」がオープンし、当方も当日、お伺いしてきました。2年ほど前に同記念館の構想があることを知り、すぐに阿見町役場の中に設置されていた「準備室」を単身お伺いし、いろいろとお話を伺ってまいりました。その時には敷地の造成工事が始まったところで、それから1年半、ついに完成、オープンの運びとなりました。一つの事業の実現を目指すものとして、あのように具体的に別の記念館が形となりオープンしたことに感動を覚えると共に、またある種の羨ましさを覚えたのも事実でした。町立施設として14億円の事業費を投じ、また予科練関係者等からの協力なご支援もありました。この日を迎えてご関係者の喜びは如何ばかりかと思います。翻って、私たちの記念館事業の方は・・・・。思わず比べてしまいましたが、しかし、比べてみたところでどうなるものでもありません。現実を見据え、そして必ずの記念館の完成を目指し、私たちも頑張らなくてはならない、そんな思いで予科練平和記念館の前を立ち去ってまいりました。
3).「予科練平和記念館」のオープン日でもあった2月2日は、(社)日本中国友好協会(全国本部)の前会長でもあられた故・平山郁夫先生の「お別れの会」が都内にて執り行われた日でもありました。当方も協会全国理事の末席を穢させていただいているところからお招きに預かり、これに参列、献花させて頂いてから、その後に阿見町に向かった次第でした。ご周知の通り、平山先生は広島県の瀬戸内海の島にお生まれになり、学生時代に広島で原爆に被爆されています。その被爆体験が先生の生涯を通じての平和活動への献身的な活動の原点となって、ユニセフの親善大使、日中友好協会の全国会長等を長年お務めになられておりました。15年程前になりますが、平山先生の提唱により手がけられた「南京城壁修復事業」の南京現地での事業開始式にて、平山先生ご夫妻と共に撮っていただいた写真が大切な宝物となりました。本当にかけがえのない大先達を失ってしまいました。心から御冥福をお祈り申し上げます。合掌。
4).以前にもお伝えしたことがあったかと思いますが、旧満州で唯一の日本人公墓である「方正日本人公墓」の維持、支援の活動を行っている「方正友好交流の会」(本部・東京)で発刊している同会の機関誌の第9号に拙稿「満蒙開拓平和記念館の建設実現を目指して」を掲載して頂いています。その原稿を「関係資料コーナー」に掲載させて頂いていますので、御一読頂ければ幸いです。 この「方正友好交流の会」には私たちの記念館建設事業も積極的なご支援を頂いています。この会は本当に手作りで運営されている市民団体です。皆様もどうか会員としてご参加頂き、方正日本人公墓の維持活動等をご支援頂けたらと思います。
方正友好交流の会 事務局 電話 03-3295-0411
(大類事務局長)
